ある日、プロンテラにて。

 どこの誰だか知れないけれど、僕の話が聞きたいっていう奇特な人が居るみたいだから、ほんのちょっとだけお話ししてあげるね。
 えへっ、れーちゃんってばほーんとやさしー☆


 ……などと誰にともなく思いながらベッドの上へ寝そべり、上機嫌に端末に向かっていると、怪訝そうな顔をした僕の可愛い相棒ちゃん――ゆーまに視線を投げかけられた。いけない、思わず鼻歌まで奏でちゃっていたらしい。無意識ってこわいね。
 なんでもないよと笑みをひとつ返して、僕はぴょいん、とベッドから飛び降りた。だって窓の外はこんなにもいいお天気、なんだか安宿の一室に篭りきりなのはちょっともったいないかな、なんて思ってしまったのだ。小腹が空いてきただけ、って説もあるけどね!

「ねえねえゆーまー、おでかけしよーよー」
 ひまだよー、なんて続けながら、机に向かって何やら難しい顔をしている可愛い相棒ちゃんの手元を覗き込む。と、彼は何やら、どこかに提出する書類らしきものと格闘しているようだった。さっきから何を唸っているのかと思えば。そーいや君は昔っからこーいう細かいことや頭を使うことは苦手だものね、どうせならさっさと僕に頼ってくれれば早く終わるのに。思いながら後ろから肩に腕を回して、甘えるように身体を預ける。
「ねーえー、なにしてるのー? 難しい顔しちゃってさー。手伝おっかー?」
 僕の言葉に、相棒ちゃんはいいや、と言わんばかりに首を横に振る。なんだか自分でやらなければいけない類の、大事な書類らしい。あーあ、まったく頑固なんだから。それに変なとこで生真面目。こういうところ、ほんと昔から変わらないね。つまらないなあと呟いて、呆れながら溜め息をひとつ。

 ――そう、変わらない。本当に、むかーしむかしから。

 ほんとうに、気が遠くなるくらいに『昔』のことを、何故だか「僕」は、たくさん、たくさん覚えている。
 それは今の「僕」の記憶――たとえばこれまでに歩んできた二十数年分のことだけではなくて、もっと昔の、それこそ僕が僕になる前の僕のことなんかだったりして。
 たとえば、多分三つくらい前の記憶にある僕は、なんだかちょっと鬱蒼とした森の奥深くに住んでいて、あまり人に会わないように暮らしていたなあ、とか。その次くらいの僕は、小さな集落の中で静かに穏やかに暮らしていたっけなあ、とか。
 そういう、遠い昔の「自分だったもの」のことを、僕はなんとなく、記憶のように、おぼろげな夢のように保持していて。それらはとても断片的であったりするから、全てを覚えているわけではないし、それが「ほんとうのこと」だという確かな証拠なんて、本来はどこにもないのだけれど、それでもこの身体のどこか、いわば『魂』みたいなものに刻み込まれたそれは確実に僕の中に存在していて、今の「僕」を形作る礎になっている。
 そんなたくさんの、記憶とも記録とも呼べる思い出たちの中、様々に移り変わる景色の中で変わらないのは、そこに在る僕の出で立ち――白い髪に白い動物(喩えるなら猫かな)のような耳と尻尾を生やしているこの姿。それから、いつも隣には何故か、目の前で相変わらず難しい顔をしているこの人――相棒ちゃんがいる、っていうことだった。

 今回の「僕」も例に漏れず、そうなのだ。
 何回めだったかももう忘れちゃった人生を送る中、「へー今回はこんな世界なんだー、やっぱりどこに行っても不思議な力は使えるんだねー、どうやらここでは「魔法」って呼ぶみたい」なーんて呑気に構えていた僕の目の前に現れた、いつも通りの見覚えのある人影。
 いくら輪廻を繰り返しても何度も出会ったのだからそろそろ忘れるはずもない、僕とは真逆でお揃いの、黒髪に黒い耳と尻尾をつけた青年の姿。今回はちょっと出会うのが遅かったかな、なんて言ったところで多分伝わらないから、彼には言わなかったけど。
 不思議なことに、こうして僕がたくさんの人生を覚えているにもかかわらず、何故だか何度も出会う運命になっているらしい相棒ちゃんの方は、そういうのをさっぱり覚えていないみたいだった。
 ……というか、普通は多分、こういうのって覚えてないのが当たり前みたいだよね。何故だか僕が、やたらめったら昔の「僕」と、僕を取り巻く事柄を覚えたまま存在しちゃってる、というだけで。
 だから今回もいつも通りに、僕はもう知っているはずの彼に、良い子で知らないふりして「はじめまして」をした。……なーんて、最初だけ。大抵の場合、何故だかすぐに、今みたいな関係になっちゃうんだけど。
 相棒ちゃんも記憶なんかはさっぱりなさそうにしているわりに、どこか深いところではなんとなく、僕のことを覚えているみたいだった。二人は昔から何度も出会っていて、ついでにいつもいつも恋仲になっている、なんてことも多分、きっと。
 なんだろーね、こういうの、運命、なんて言っちゃえば格好がつくのかな? あるいは宿命? なーんて。そんなの些細なことだし、どうだっていいけど。

「ねえねえ、そーいうのはあとで僕が手伝ってあげるからさー。お腹空かない?」
 ごはん食べにいこーよー、なんて続けながら肩越しに回した腕で甘えるように抱きしめて黒髪に頰をすり寄せると、相棒ちゃんはやれやれしょうがねえなあと言わんばかりに溜め息をついて、「あーはいはい」とやや面倒臭そうに答える。なんだかんだ言いながらいつもそうして僕のわがままに付き合ってくれるのだから、この人は優しい。
 いつも。そう、いつの人生でもそうだった。ゆーまはどんな時も、僕のわがままに付き合ってくれた。優しく柔らかく穏やかに、僕の隣に寄り添ってくれていた。いつでも、どんな時でも。どこまでも僕のことを優先してくれる、呆れるくらいに僕に甘くて優しくて、お人好しなひと。

 ――遠い昔のことを覚えているのってそんなに楽しいことでもないな、って思う時がよくある。
 僕が覚えている、いちばん凄惨な僕の過去の記憶。それを時折思い返しては、今のことではないのになんだか恐ろしくなる時があって。
 いちばん怖いのは、「また僕は同じことをしてしまうんじゃないか」、そう思ってしまうことだ。
 だって、人間ってそう簡単に変わるものじゃないでしょう? なかなか学ばない、とも言うね! だからかなぁ、僕が同じような人生何回も繰り返しちゃってるのって。そう考えると、なんだかちょっと拷問みたい。

 そんなふうにぼんやり考えていると、ようやく机の上を片付けて重い腰を上げたらしい相棒ちゃんがおもむろに声を上げた。
「で、今日はどこに行くんだ?」
 浅黒くて少し大きな手が、ぽすりと軽く僕の頭を撫でる。その手に委ねるように頭を寄せながら、心地よさに瞳を少し細めた。
「ん~……そうだねえ、どうしよう。まだ決めてなかったな」
 だって君と一緒なら、どこだってきっと楽しいんだもの。それはいつの時代も変わらない、ほんとうの気持ち。
 相変わらず適当なやつだなあ、呆れたように零しながらも彼がこちらへ向けた見下ろすような視線がほんの少し優しい色をしている気がして、なんとなくちょっとくすぐったいような気持ちになる。だから、出掛ける準備を始めた後ろ姿を眺めながら、僕はお返しと言わんばかりに意地悪をした。
「……きみの、行きたいところはないの?」
 いつも、僕に付き合わせてばっかりな気がする相棒ちゃん。
 だからたまには聞いてみたくなったのだ。大切な彼の、わがままを。
 予期していない問いだったのか、相棒ちゃんは脱いだ上着を手にしたまま金色の瞳を瞬かせて、やや不可解そうな表情を浮かべていた。なんだかちょっと心外なんですけど。れーちゃんだってたまには気配りくらいするんですよ。たまにはね。
「どこでもいーよ? お供するし」
「どこでも、と言われてもなあ」
 急に言われてもそんなすぐに思いつかねえよ、続けながら、すぽりとお出かけ用の服を頭から被って暫し視線を泳がせ、
「別にお前と一緒ならどこでも、って感じだしな。……ああ、そういや飯が食いたいとか言ってたっけか? なら肉か魚か、それとも……」
 そこまで彼が続けたところで、僕は思いっきり、その身体に飛びついていた。
「……突然なんだよお前は」
 急なことだったのにきっちりと受け止めて微動だにしない辺り、なんだかんだ言いながら慣れてるよねーって感じ。そしてちょっと頼もしい。それはさておき、なんだか僕は嬉しくてちょっと照れ臭くて、ぎゅうっと抱きついて首元に顔を埋めてしまっていた。……だって、ねえ?
「……僕もそう。おんなじ。きみが一緒なら、どこでもいーかなって。……あっ、でもご飯食べるなら、今日の気分はお肉かな~」
 今日はね、と念を押すように続けてへらりと笑う僕に、はいはいわかった、と返した相棒ちゃんの手が、慣れた調子でゆるりと頰を撫でる。そのまま顎を軽く持ち上げてきた手に合わせるように瞳を閉じれば、当たり前のように落とされる、柔らかな甘い口づけ。なんだかもう、日常と言ってもいいくらいにいつも通りの一連の動作。もう一回、って甘えておねだりをする僕に、そうしたら飯に行けなくなるだろ、ってデコピンが飛ぶところまでね。ちょっと~何考えてるの? 相棒ちゃんのえっち! でも悪い気はしない。なんだかそう言われるとそういうことがしたい気分にもなってきちゃうけど、それより先に腹ごしらえだよね。どうせなら、すぐにそういうことが出来るところに行っちゃうのも良いけど、なーんて。
 ……いろいろ思いを巡らせながら感じるのは、愛してる、の意味をたくさん、たくさん教えてもらったから、きっと今の僕らがあるんだろう、っていうことだ。
 今じゃない僕も、その昔の僕も、それはずっとずっと変わらずに感じていたこと。
 どれだけ時を経ても、彼は僕のそばに居て、そして、何故だか僕を大切に愛してくれる。
 なんだかそれって、奇跡みたいなことだ。だから、僕はいつも僕の人生が始まるのが嬉しくって、楽しみで、今回の僕らは一体どんな出会いになるんだろう、なんてぼんやり考えている。
 ……そして、どんな最期を迎えるのか、も。

 ――今からひとつ前の記憶。
 思い出したくもないその過去を、何故だか今でも僕は鮮明に覚えてしまっていて、なかなか「どうせ昔のことだし」なんて片付けてしまうことが出来ない。いつもなら、どうってことないって忘れてしまえるはずの過去なのに。
 唯一の救いは、相棒ちゃんがいつものごとくそれを覚えていない、っていうことだ。
 いつもならどうして昔のことを共有出来ないんだろう、なんてちょっとだけさみしくなったりもするけれど、この記憶だけは、この過去だけは、出来れば思い出して欲しくない、と身勝手に願ってしまう。

 ……だけど、僕は知っている。
 その願いがきっと叶わない、ってことも。

 さて、君がそれを知るのは、一体いつになるんだろうね?
 それが今日でないことをいつも願いながら、僕は大好きな相棒ちゃんと一緒に、いつも通りに街に繰り出すのだった。

Utility

Update

僕の小さな王子様
2019.10.02 21:52
「2度目のよろしくね」
2019.10.02 21:24
おはなし。
2019.10.02 21:21
フィルタリングされました
2019.10.02 20:57
ある日、プロンテラにて。
2019.10.02 20:34